楽団のご紹介
カテリーナ古楽合奏団
プロフィール
カテリーナ古楽合奏団プロフィール
中世・ルネサンス時代の音楽を独自のスタイルで演奏し、百の音色を持つと云われる古楽合奏団
1973年
松本雅隆を中心に結成。中世・ルネサンス時代の音楽を独自のスタイルで演奏し、現在に至る。
1979年
CBSソニーよりLPレコード「古楽の調べ」を発売。ラジオ等に出演。
1984年
中世典礼劇「ダニエル物語」の音楽を担当し高い評価を得る。
1986~88年
坂東玉三郎演出の「ロミオとジュリエット」に楽師として出演、シェークスピア劇に大きな効果をもたらした。
1993年
「クルムホルンレーベル」よりCD「ドゥクチア」発売。音楽雑誌「レコード芸術」で皆川達夫氏などから推薦盤として高い評価を得る。
1995年
ニッポン放送連続ラジオドラマ、ナウシカやトトロでお馴染み宮崎駿の「雑想ノート」で音楽を担当。徳間ジャパンよりCD「雑想ノートサウンドトラック」発売中
1996年
カテリーナ古楽合奏団のCD「ドゥクチア」が起用された映画「絵の中のぼくの村」(東陽一監督)が公開。同映画はベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞。フランダース国際映画祭グランプリ受賞など内外で大きな話題を呼ぶ。
1997年
ベルギー
ドイツ、イタリアを計14ステージ公演。高評を得る。
1999年
「ボッシュ幻想」初演
2000年
「ブリューゲルの散歩」初演
2003年
結成30周年を迎える、NHK大河ドラマ「武蔵」にて器楽演奏を提供
メンバーと担当楽器
■松本雅隆:バグパイプ、クルムホルン、ハーディガーディ、プサルテリー、カヌーン、ほか
■上野哲生:サントゥール、プサルテリー、サズ、リュート、ダルブッカ、ほか
■千葉潤之介:フィーデル、ヴィオラ・ダ・ガンバ、クルムホルン、リコーダー、ほか
■品川治夫:ラケット、カタール、クルムホルン、リコーダー、ほか
長井和明:セルパン、クルムホルン、リコーダー、ほか
その他
中世・ルネサンス音楽の世界
「中世・ルネサンス音楽の世界」
初演:1988年
編成人数:6名~7名(キャストのみ)
上演時間:1時間50分(休憩あり)
30種類以上の古楽器が織りなす、カテリーナサウンドの定番。CD「ドゥクチア」からの曲も多数演奏
エスタンピー/ドゥクチア/輝く星/ショーム吹きの踊り/オーン/他
ブリューゲルの散歩
初演:2000年夏予定
編成人数:4名(キャストのみ)
上演時間:1時間30分
古くて新しい、忘れた音たちに耳をすまそう
ブリューゲルの絵を実際に見ながら、中世・ルネサンスの音楽を楽しむ。絵の中の音楽が現実のものとしてきこえてくる。
カテリーナ古楽合奏団(演奏曲目例)
「サルタレッロ」 作者不詳 14c. Italy
「ドゥクチア1」 作者不詳 13c. England
「トリスタンの嘆きとロッタ」 作者不詳 14c. Italy
「道化の踊り」 作者不詳 16c. France
「輝く星」 作者不詳 14c. Spain モンセラートの朱い写本より
「ディンディリン・ディンディリン」 作者不詳 16c. Spain
「聖母マリアのカンティガ集より」159 アルフォンソ賢王編纂 13c. Spain
「ブランル」 クロード・ジョルベーズ 16c. Frandle
「ブルゴーニュのブランル」 ジャック・モデルヌ編纂 16c. France
「ドゥクチア2 」 作者不詳 13c. England
「森の小鳥」 作者不詳 ? France
「聖母マリアのカンティガ集より」 アルフォンソ賢王編纂 13c. Spain
「ショーム吹きの踊り」 ティルマン・スザート編纂 16c. Frandle
「夏は来たりぬ」 ジョン・オブ ・フォーンセント 13c. England
「ロバの詩」 作者不詳 13c. France
「三つのブランル」 アルボー編纂 16c. Frandle
「愚者の船&オーン」 松本雅隆 20c. Japan
曲目用語の解説
サルタレッロ Saltarell
14世紀イタリアで作られた「跳躍する」という意味の3拍子系単旋律曲。4~7句からなり、それぞれ2回くり返されるエスタンピーestampie形式の舞曲。
ドゥクチア Ductia
13世紀イギリスで作られたエスタンピー形式の2声器楽曲。同名のものが3曲残っている。
聖母マリアのカンティガ集 Cantigas de Santa Mria Cantiga
スペインのカステリア王アルフォンス賢王(1252ー1282在位)の命により編纂された、約426もの詩からなる聖母マリアの頌歌集。王自らが、そして吟遊詩人たちに依頼して作曲させた。聖母マリアの奇跡など、中世スペインの民衆の間で語り継がれていたものを編纂。アラブの影響が強く、中世の音楽を知る上で大変興味深い作品。
トリスタンの嘆き Lamento de Tristano
14世紀イタリアで作られた「トリスタンとイゾルテ」の悲劇を題材としたエスタンピー形式の舞曲。
モンセラートの朱い写本 Libre vermell de Montserrat
14世紀カタルーニアの聖地で歌い踊られた曲集。
トゥルディオン Tourdion
トゥルディオンは16世紀にフランスで流行した3拍子の舞曲で、多くはバス・ダンスの後に続き組曲の形をなした。
ブランル Bransle
ブランルはフランス起源のダンス。語源は「揺れる」を意味し、輪になって足を横に運ぶのが特徴。16世紀初頭から広く愛用され、あらゆる階層の男女によって踊られた。
ジャック・モデルヌ Jacques Moderne
モデルヌは16世紀フランスのリヨンで楽譜出版業者を営んだ。パリのアテニャンと同様に五線と音符を同時に印刷するという、当時ではもっとも新しい印刷技法で数多くの楽譜集を出版する。
ティルマン・スザート Tielman Susato
「ショーム吹きの踊り Hoboeckentanz 」
16世紀半ばにおけるアントワープの音楽出版業者として有名。カテリーナのCD「ドウクチア」は96年度の話題作映画「絵の中のぼくの村」の映画音楽として全編を飾った。この曲はそのタイトルバックの音楽として使用された。
夏は来たりぬ Sumer in icumen in
イギリスで生まれた世界最古のカノン。13世紀のジョン・オブ ・フォーンセントの作曲と伝えられているが、14世紀という説もあり不明な点が多い。
アルボー Arbeau
アルボーはルネサンスダンスの為の魅了的なダンス教本と舞曲集を編纂した。
愚者の船&オーン 松本雅隆
愚かな人間と兵器が織りなす狂気と滑稽の世界を綴った、連続ラジオドラマ「宮崎駿の雑想ノート」の為の作品。「愚者の船」は番組テーマに使われ。「オーン」は宮崎駿の描く戦闘機の擬音からイメージされた。平和 への願いを込めて。
感想・評など
音楽学者の評より
邦画が描く山村にマッチ 中世西洋音楽の妙 なつかしさを感じる素朴なメロディ
2、3年前、グレゴリアン・チャント(グレゴリオ聖歌)がキリスト教国と日本で大ヒットし、話題になった。そのせいもあるのだろう、ヨーロッパの古い音楽、それもバロックより前の中世・ルネサンスの音楽が、いわゆる先進国で多くの人々に聴かれるようになっている。ほとんどは輸入盤としてだがCDの数も増え、大きなレコード店には専門のコーナーが設けられているし、音楽雑誌でもよく取りあげられている。
そしてこの夏、また中世の音楽がちょっとした話題になりそうだ。東京で公開中の東陽一監督の映画「絵の中のぼくの村」の全編に、使われているからだ。戦後まもない高知の村での、双子の絵本作家の少年時代を、ユーモアをこめてファンタスティックに描き、ベルリン映画祭で銀熊賞に輝いたこの映画で、監督が選んだ音楽は、日本のカテリーナ古楽合奏団のCD「ドゥクチア」(クルムホルン)なのだ。ちょっと意外な組みあわせと思われるだろう。ところが、昭和23年ごろの日本の山あいの村と、西欧の12~16世紀の音楽が、じつによくマッチしているのだ。これには、演奏家はもちろん、ヨーロッパの映画批評家も、びっくりしていたそうだ。でも、どうして中世の音楽が選ばれたのだろう?
東監督は、映画と同じく、明快に説明してくれた。「シナリオを書いているときから、中世の音楽を使いたいと思いこみまして。ひと月くらい、ほとんど東京中のレコード屋をまわってCDを買い集めたんですが、なかなかこれだというのがなくてね。いろいろ聴いた中で、いちばん気に入ったのがカテリーナ古楽合奏団のCDだったんです」
映画音楽をどうするかは、なかなか難しいことらしい。「今回は、いわば消去法で中世の音楽になったんです。現代の作曲家が映画向けに書いた音楽は、できあがってきてびっくりすることがけっこうあるんですよ。これはちょっと違うといっても、時すでに遅しでね。かといって、ヨーロッパのクラシック、バッハ以降ストラヴィンスキーくらいまでの音楽じゃねぇ。日本のポップスなんてもちろん合わないし、童謡でもないし」「それにね、日本の子どもが出てくる映画の音楽には、決まったパターンがあるんです。必ずオカリナが出てきて、もの悲しげなメロディを吹くという(笑)。そういう湿った情緒には、絶対もっていきたくなかったし、音楽自体が楽しさをもってなければいけないと思ってね。これが当たるか当たらないかで、映画全体の情緒的な面が決まると思って、ほとんど目の色を変えてさがしたんですよ。だから、これが見つかってほっとしました」
長調と短調というシステムができあがるはるか以前のヨーロッパの音楽は、ピアノの白鍵だけでだいたい弾けてしまうような、素朴なメロディで書かれていて、どこかなつかしい響きもする。舞曲や抒情歌はほとんどが単旋律で、どんな楽器をどう組み合わせるかは、演奏家に任されている。即興の要素も大きい。ちなみに、15~16世紀はふつうルネサンスといわれる時代だが、映画で使われているような舞曲は、中世の性格を色濃く残している音楽だ。
また、中世の楽器のもつざらざらした音の感触は、音量と能率を追及して「改良」された現代の楽器の、ツルツルでピカピカした音にはない、表現力やノイズ的な魅力がある。楽器の形からして、木のぬくもりとユニークなデザインが新鮮だし、奇想天外なメカニズムのものもあると、必要以上におごそかになってしまったクラシック音楽の世界にくらべて、とにかくおもしろいのだ。
映画の舞台は戦後3年目のころ。教室には「自由」だの「平等」だのと書いた習字がはってある。ぴかぴかだった民主主義のからっとしたさわやかさが、カテリーナ古楽合奏団のストレートであざやかな演奏ととても相性がいい。双子がしでかすいたずらには、チャルメラのような音の管楽器の合奏が絶妙なBGMになっている。半世紀もむかしの日本の村は、今からすればエキゾティックでさえある。山道を進む葬列は、アジアの異国の儀式を見るようだ。映画には、戦前の家制度をひきずった人間関係とか、性の目覚め、貧しさ、差別といった問題も、さりげなく、しかししっかりと描かれている。そういういろんなしがらみさえも、古楽器の音はやさしく、なつかしく、にぎやかに彩っている。
意表を突かれたのは、狂言まわしかコロス(古代ギリシア演劇の合唱隊)のように、要所で登場して物語を説明する謎めいた三人の老婆のシーン。そのたびに「山んばトリオのテーマ」といった不気味な雰囲気で流れていたのは、14世紀フランス最大の詩人兼作曲家、ギョーム・ド・マショーの書いた宮廷ふうの恋歌だったのだ。本来のテーマとはまったく違うのに、ユニークな編曲のせいもあって、じつに見事に映像を引き立てていた。1996年7月19日読売新聞より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
民俗音楽学者の評より
今一番新しい音楽である
「カテリーナ古楽合奏団」が手にする諸楽器は死に絶えた古楽器ではない。伝統楽器として、洋の東西に生きつづけ、展開しつづけている人間味あふれた楽器なのである。したがってその音色は、特定の地域としてのヨーロッパのものでもなく、日本のものでもない。近代化の過程で歪められた音の氾濫する現代社会にあって、本来の人間性豊かな音を甦らせてくれる音、日本はもちろん世界中が、いま必要としている音楽だといえよう。彼らが演奏する楽曲は、その名に反して "古楽" ではない。楽器と同様、古楽のあり方に素材を求めての現代の音作りである。彼らの目指す "素朴で人間味あふれる" そして "今一番新しい" 音楽である。CD「ドクチア」ライナーノートより
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
音楽学者の評より
ヨーロッパの古楽はもはや異国の古楽ではなく、現代日本の生きた音楽になりきっている
今回刊行されたCDでは「ドゥクチア」というタイトルのように、中世舞曲を中心に世俗歌曲やらルネサンス舞曲などを、ほぼ30種に及ぶ楽器によって多彩に、にぎにぎしく演奏している。音色感あざやかで、まことに心楽しい演奏である。リズムよく、楽器の組み合わせ好ましく、愉悦感あり、文句なく古楽の喜びを感じさせてくれる。彼らの演奏はあくまでも骨太で、力づよい。時にはやや粗いとさえ感じさせるほどに、筋金の入った強靱な力でグイグイ迫ってくるのである。(中略)この楽しいCDを 聴いていると、ヨーロッパの古楽はもはや異国の古楽ではなく、現代日本の生きた音楽になりきっている。二十年近くもこの種の音楽を演奏し、自分達の身体の一部になりきっている彼らだからこそ実現できた、素晴らしい成果である。 レコード芸術93年11月号「ドゥクチア」の評論文より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
音楽学者の評より
原曲を幾倍も楽しいものにしている
例えば、第7曲の「輝く星よ」(イタリア14世紀)で鳴りっぱなしのドローンをシンフォニアでいれて、器用な合いの手はペルシャのサントゥールでといった心憎いコスミックな演奏を誰が悪意で受け取るだろうか。第4曲の「ショーム吹きの踊り」(16世紀、スザート)などもおもしろい例だ。演奏にはプサルテリウム、バス・ヴィオール、ショーム、クルムホルン、リコーダーが参加するが、思いつきの良い前奏と即興的対位法が、原曲を幾倍も楽しいものにしている。第5曲の「トリスターナ」は普通よりも遅く、第6曲の「フォンタナ」は極端に速い。だが速くても、遅くても、それなりにスマートで上手、雰囲気がある。レコード芸術93年11月号「ドゥクチア」の評論文より